漢字で書くと木曽馬。長野県や岐阜県で飼育されているウマです。見た感じ脚が短くガッチリした体形で、サラブレッドとは全然違います。力仕事がメインで小振りな感じです。元々はモンゴルの馬が改良され、時代とともに今のキソウマとなりました。平安時代から江戸にかけては武士の馬や農耕用、荷物運搬用や伝馬としても重宝されていました。今回はそんな多方面に働いて来たキソウマについて、最近労働意欲が低下気味のピッキュウが紹介します。

キソウマについて

キソウマは国の天然記念物で本州の在来馬です。日本では北海道の道産子と宮崎の御崎馬、そしてキソウマが3大在来種です。体高は平均130cm位で体重350~420kgとそんなに大きくありません。

耳は小さく綺麗な目をしています。鬣はダラリと首の方へ伸びていて、首と背中はほぼ水平に近い状態で、頭の位置が低く見えます。

体形は胴が長く四肢は短いですが、山間部育ちの為か筋肉質で力強さを感じます。胴が長いのには盲腸が他の馬に比べて約30cm長く、太さも2倍はあります。この為餌は小量でも問題ないのです。お腹ポッコリなのはメタボではないのですね。

また蹄の形は外向きで後脚はX状になっていて、斜面でも踏ん張る事が出来ます。やはり山育ち故の形でしょうか。農作業のみであれば蹄鉄を打たなくても大丈夫な程、頑丈に出来ています。

キソウマは農耕・運搬用だったので、鞭等で叩かれることもありませんでした。そのせいか温厚で人馴れしている個体が多いです。人間もキソウマには優しかったのでしょう。

かつては名馬だったキソウマ

鎌倉時代よりも少し前ですが、この頃からキソウマは武士の間で名馬と言われて来ました。それから江戸時代になっても武士の象徴的存在として扱われていました。明治に入り今度は農耕用として重宝されるようになり、7000頭近く飼育されていました。

キソウマを襲った悲劇

キソウマに悲劇が襲ったのは日本が軍事国強化を目的に、外来馬を導入したことが始まりでした。外来馬を交配させ大型のキソウマを生産した為、在来馬の需要が一気に減りました。

更に昭和14年種馬統制法によりキソウマの繁殖を禁止されました。小型のキソウマよりも交配した大型の馬が軍事的にも良かったのです。

そして昭和18年にはキソウマのオスは全て去勢されてしまいました。もはや全滅の一途を辿るしかない状況だったのです。

絶滅を救ったキソウマ「神明号」

戦後になり何とかキソウマを復活できないか方々オスを探しました。そして更埴市八幡神社に神馬として奉納されているオスが見つかりました。この神馬を「神明号」と名付け、木曽で繁殖に成功しました。

開田村の第3春山号

神明号とメスの鹿山号の間に生まれたのが第3春山号です。これで種の保存が保たれ現在では約200頭ものキソウマが飼育されています。

上野動物園のキソウマ

上野動物園には2頭のキソウマ親子を見る事が出来ます。母馬の幸泉と子供の春嵐です。春嵐はまだ4歳くらいでしょうか、お母さんにべったりとくっついていて可愛いですよ。

さいごに

一時は絶滅しかけたキソウマですが、地元関係者の努力によって何とか免れました。長野県では天然記念物に指定されています。これからもどんどん増えて行って欲しいですね。