悲劇・残念・悔やまれる、そして名馬。サイレンススズカというサラブレッド競走馬の名と共に多く記されている言葉で御座います。それらを作り上げたのは、サラブレッドサイレンススズカ自身だったのでしょうか。テレビ越しにその悲劇とされる映像を見ていた脱線型ライターきよいが、この記事に目を留めて下さった貴方様にサイレンススズカに何が起きたのか考えるきっかけにして頂ければと、私たち人間というものに絶滅させられた野生種の馬本来が持っていたとされる移動法や走り方についても織り交ぜ記させて頂きました。

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偶然と偶然からの始まり

父は輸入されて間もないサンデーサイレンス。母ワキアもまた同じアメリカ合衆国からの輸入馬でした。当初ワキアには人気種牡馬であったトニービンとの交配が予定されておりましたが、タイミングが合わず種牡馬として能力不明であったサンデーサイレンスが種付けされました。そして、1994年5月に生まれたのがサイレンススズカ。仔馬時代は牝馬の様なしなやかで小柄な体つきをしており、とても人懐っこい気質であったとされております。

デビューそして他界

1997年2月中央競馬サラブレッド競走馬としてデビュー。競走馬として本格化していったサイレンススズカは中距離馬としては優れたスピードに加え瞬発力も備えていた事から二の脚を使える競走馬とされ、スタート直後から大逃げというスタイルで走らせ、最後の直線で後続をより突き放す差しの脚質も使わせる。その走らせ方は逃げ差しと呼ばれました。1998年11月天皇賞(秋)2000mのレースをいつものようにスタート直後から大逃げで走らされたサイレンススズカはテレビ中継のカメラが後続の馬と同じ画面に収めるのに苦労する程に差を広げていったので御座います。しかし、1000mを過ぎた辺りで左前脚粉砕骨折を発症、そのまま競走中止となり安楽死処分にて他界しております。享年4歳、生涯戦績16戦9勝(GⅠ1勝)。かなりのスピードで走らされていたサイレンススズカが骨を砕けさせても転倒せずに立ち続けたことは騎手を守ろうとしたのではともされておりますが、果たして、実際はなにが起きていたのでしょうか。

壊されし者たちの象徴

本来の馬は1日16時間程度かけて、25~30km草を食みながら移動する生き物です。そのうち走るのは合計で50分程度、キャンターと呼ばれている軽い駈け足が殆どなのです。サラブレッド競走馬の様なギャロップに関しては相当な危険が迫った時のみ、時間にして数秒あるか無いかなので御座います。早く走ることが可能なのになぜ走らないのでしょうか。そこには脳を持った生き物ならば、ほぼ必ず備え付けられているリミッターが関与しているので御座います。肉体本来の力を全て出そうとした場合、骨は砕け、筋繊維は千切れ、血管は破れ、達成する前に死亡に至ります。死亡のリスクを回避するのが脳に備わったリミッター。骨折しても走り続けるサラブレッド、立ち続け安楽死処分になる競走馬は多々存在しております。私たち人間につくられ生死や交配相手も全て決められているサラブレッド。その生き物から死のリスクを回避するリミッターを消したのも私たち人間なので御座います。

サイレンススズカを悲劇の名馬と呼び、未だに粉砕骨折で安楽死となったレース画像を見られない、見ると涙が出る等との声は多く聞かれます。では、その悲劇を作り出したのは誰なのか。それはサイレンススズカを悲劇の名馬と呼び涙を流す、私たちこの国の人間なのではないのでしょうか。