『芦毛の怪物』『希代のアイドルホース』オグリキャップが真逆とも感じられる愛称で呼ばれる様になった背景には、どの様な経緯があったのでしょうか。
真っ赤にした鼻孔を広げて駆けるオグリキャップの姿が、鮮明に記憶に残っている脱線型ライターきよいがお伝えして参ります。当時の日本国がどのような状況であったのか、それに巻き込まれたのは人間だったのか。人と人以外の全ての動物の関係性にも通じる内容となっております。この記事に目を留めて下さった貴方様が、読み終えた後、オグリキャップから何かを受け取れるようにと書かせて頂きました。

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多くのハンデを抱え誕生

オグリキャップが生まれたのは1987年。折しも日本全体がバブル景気に沸き立って行った初頭で御座います。血統的には地方競馬で二流、中央では三流に届かない内容。それに加え、生まれつき脚が曲がっているというハンデを抱え、免疫力をつけるために重要な母馬の初乳を飲むことすら自力では出来ない馬。何とか育ってほしいと、『ハツラツ』との血統名がつけられました。父・母共に気難しいところのある馬でしたが、仔馬時代に人の手を借りることが多かった関係で、ハツラツは人と遊ぶことを好み、信頼を寄せておりました。

地方から中央へ、そして引退

1987年5月に地方競馬所属馬として、笠松競馬場にてデビュー。12戦10勝を挙げた後、1988年1月中央競馬に移籍。地方時代の馬主を熱心に説得し、オグリキャップを中央入りさせた馬主及びそのあとを引き継いだ人物の意向により、後に、『過酷』と評されることとなるローテーションへとオグリキャップは巻き込まれて行くので御座います。オグリキャップ感動のラストランとして有名な有馬記念。勝利を収めファン達から送られた、『オグリコール』。今では相手に恵まれたが故の勝利等とも書かれるようになりました。1990年までの現役生活の間に、元より抱えていた脚部の弱さとローテーションから何度も怪我を負い、体調を崩しつつも32回のレースに出走し22勝を挙げております。調教後などに馬房に戻ると、崩れ落ちるように身を投げ出していたオグリキャップ。馬は人間も含め動物の中で最も海馬が発達しているとの研究結果が御座います。真面目と評され、常に全力を賭していたのは、ひとえに仔馬時代の記憶からとも取れるので御座います。

遺した功績

それまで競馬場の来場者さまと申しますと、眉間にしわを寄せ、競馬新聞と赤いペンを手にした男性がほとんどでしたが、オグリキャップ二代目馬主が販売したぬいぐるみが呼び水となり、若い女性も足を運ぶようになりました。その事をきっかけに、競馬場側もデートコースや親子の憩いの場などに利用して貰おうと改築工事を進め、現在のお子様からシニアの方まで楽しめるイベント施設へと移っていったので御座います。

 

証明し他界

1991年~2007年までの種牡馬生活において重賞勝ちの産駒を出すには至らず、競走馬がいかに血統に左右されるものなのかを知らしめる結果となったので御座います。2010年7月、繋養先の一般公開用パドック内にて複雑骨折、安楽死処分となり25歳で他界しております。競走馬の悲劇にドラマを感じる人間、勝利と苦痛をもって応じる馬達。オグリキャップを通し泡沫の夢に酔いしれた人々は、バブル崩壊と共に現実へと帰り、名馬は波紋を残し消えていったので御座います。

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