その1:彼との出会から別れまで

今から24年前の初冬、我が家に1匹のトイプードルがやってきました。私はトイプードルの飼い主となった駒形忠義(仮名:当時46歳)といいます。我が家の家族構成は、妻と子供3人(男2人と女1人)の合計5人ですが、トイプードルが家に来た時は既に長男が就職して家を出ていましたので、実際には4人暮らしをしていました。そもそもトイプードルを飼うことになった経緯は、長男が家を離れたことで妻が酷く落ち込んでしまい、それを横目で見ながら心配した当時中学生だった娘が、“犬が欲しいからペットショップに見に行こう”と母親を誘ったことが発端でした。

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奇跡の出会い

ある日の夕方、近所のペットショップに妻と娘の3人で出掛けました。その時はどんな犬種がいいのかも話し合うことなく、取り敢えず冷やかし程度の軽い気持ちで出掛けました。そこは個人経営のショップで犬種も少なく、妻も娘も飼いたいと“心が動くような子犬”がいなかったようなので、早々にショップを辞去することにしました。
店主にお礼を言い、私と娘が展示室のドアから出ようとした時、後ろの妻が“キャー”と奇声を発しました。振り返って見たら、なんと妻の足元に“小さな白っぽいもの”が纏わり付いていたのです。咄嗟に“縫いぐるみの人形か?”と思ったのですが、怪訝そうな3人の顔を見て“トイプードルの子犬よ!”と店主が教えてくれました。子犬を展示室内に放置していたらしく、ケージの陰に隠れていたのが人の気配を感じて妻の足に纏わり付いたのです。
その時、何を思ったか娘が一言“お母さん、この犬にしよう!”といい、その場で妻と娘が価格交渉を始めてしまいました。その時の店主の話しぶりから推察すると、どうもこの子犬は“売れる見込みのない不良在庫犬”だったようでしたが、両者で値段の折り合いが付き引き取り日を決めてから、勇躍帰途に就きました。斯くして、私たちがショップを辞去するのがほんの数秒早ければ、この子犬と2度と会うこともなかったいわば“奇跡的な出会い”だったといえます。

僕の名前はパディントン

我が家にやってきたトイプードルの名は、娘が子供の頃に好きだったイギリス童話の“熊のパディントン”に因んで、『パディントン』と命名しました。因みに、彼の証明書(血統書)には、出生地は横浜市で、犬種名(分類)は『トイプードル(PT)』、性別は『オス』、毛色は『アプリコット』と記載されていました。しかし、1歳半を過ぎ成犬になる頃には体高が32cmで体重が5.2Kgと、ほぼ『ミニチュアプードル』並みの大きさになり、体毛は耳と尻尾の一部が薄茶色っぽい程度で全身は殆ど白色だったのでした。娘はそのことを揶揄して、パディントンは“売れ残り犬だから仕方がないよね!”とよくいっていました。なお、彼は生まれてから13歳まで神奈川県の地方地域に住み、“よく食べ、よく遊び、よく寝る”の3拍子揃った生活を送りながら、とても伸びやかに健やかに過ごしました。

大阪への旅立ち

彼が老境に差し掛かった13歳を過ぎた頃、私の仕事の関係で大阪に転居することになりました。転居に際しては、神奈川から東名高速と名神高速を乗り継いで、約500kmも離れた地域への車での移動だったので、さぞかし老体への負担は大きかったと思います。
況してや、住み馴れない手狭なマンションだったことと、鉄筋コンクリートの建物だらけで自然が乏しい喧騒的な環境だったことから、精神的なストレスが彼の健康を徐々に蝕んでいき、本当に辛い思いをさせてしまったように思います。

和歌山での楽しかった想い出

所が、そんな大阪の生活は長くはなく、1年後には今度は和歌山県に転居することになりました。引っ越した先は、大阪とは異なり田園風景が広がる長閑な佇まいを感じさせる土地柄で、住む家も2階建ての広い1軒屋でした。そんな生活環境がパディントンにも良い影響を与えたようで、精神的な落ち着きを取り戻し心なしかすっかり元気を取り戻したように感じました。
とはいっても、その頃には殆ど視力と聴力の機能を喪失していまい、独力での活動範囲はかなり限定的な状態になっていました。家の中を歩き回ると椅子やテーブルにぶつかることや、食事や水飲みなどは介助が必要なほどになっていました。しかし、彼はそんな逆境にも臆することなく、喜んで散歩に出掛けたり食事も毎回完食するなどしてほぼ安定した生活を送りました。
そんなこともあり、3年間過ごした和歌山では彼を伴って奈良公園のシカを見に行ったり、吉野の桜見物へ足を延ばしたり、はたまた高野山や熊野三山を訪れたり、なんと白浜温泉には6回もお泊りに出掛け、アドベンチャーワールドで何度も『パンダ』に会いました。

終の棲家となった札幌

3年間を過ごし未だに残暑厳しい和歌山を離れ、関西空港から秋が深まる札幌の地に向かったのは10月半ばを過ぎた頃でした。初めて経験する越冬生活でしたが、マンションの部屋の中は寧ろ大阪や和歌山より温かく感じ、それほど苦労することなく春を迎えました。そして、流石に札幌の夏は“彼の首に保冷剤を巻くような”厳しい夏の暑さはなく、終の棲家として選んだ札幌の住まいは段々と衰え行く彼にも、大きなストレスは掛からなかったように思います。そして、初めての春を迎えた5月には梅と桜が同時に咲く遅いお花見も楽しみました。
さて、札幌に来てから彼の生活を大きく変えたのは、飲むのが苦痛そうだった3種類の薬を一切止めさせたことです。そのこともあって“大好き好きだった散歩”も極力控えさせました。しかし、札幌に来て3回目の春を迎えようとしていた2014年4月7日の早朝5時頃、パディントンの様子がおかしいことに気づいた妻に起こされました。居間に行くと彼は力なく横たわっていたので、急いで私の膝に抱えたら1度だけ見えない目を開け、“永いことありがとう”と声を掛けてくれたような気がしました。そのまま彼は再び目を開けることがなく“痛がりもせず、”また“苦しみもせず、唯々眠るように引きを引き取りました。今は、終の棲家となった札幌の大地で静かな眠りについています。

むすび

パディントンは19歳6か月で亡くなったので、人間の年齢にすると94~5歳くらいだと思われますので“立派な大往生”でした。彼の生きざまを讃えるため、私たち夫婦は泣かないことに決めました。だから、月命日には欠かさずお参りに行って“感謝の言葉”を掛けています。

バラ色の犬生を僕に下さい:その2